1735692 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Ogni giorno sara` sereno!

Ogni giorno sara` sereno!

町編 ~ Gorizia

行き先は、 Gorizia でした!!
まずは、楽しみにしていたB&Bへ。対応もすごくよく、部屋も予想通り広くてキレイ!
3タイプ、それぞれカラーテーマが決まっているB&B、私たちは黄緑の LaTuga

gorizia-1.jpg

ここでは外にでも出たくないし、キッチンもあったけど自炊はする気分じゃなかったので
B&Bの人に聞いて、出前ピッツァで済ませましたが、
翌朝の朝食はこんなに充実していて、部屋に運んでくれるのでゆったり。
宿の人も親切で、 自宅のようにくつろげるB&B 、おススメです!
ただしチェントロからははずれているので、車派に。

lucciole per lanterne B&B
Via Leoni 78,Gorizia Tel : +39-0481-390682 / +39-347048300

宿を後にし、最寄の駐車場に車を止めてチェントロへ。
フリウリの中でも特に統治する国が何度も変わり、時代に翻弄された都市。
特に大きな見どころはないいですが・・・いや、本当はお城がそれなんだろうけど
朝から機嫌の悪い子供たちと徒歩で丘の上まで上がる気にはなれず、散策のみを楽しみました。

gorizia-2.jpg

オーストリア帝国下の1800年代、上流階級の人たちの避暑地として “オーストリアのニース”
と呼ばれただけあって、派手さはないけど優美なお屋敷なども数多いそう。
私たちのお気に入りは、家族写真も撮った(写真左上)のストラッソルドの館。
現在は4つ星ホテルになっているそうです(この時は全く気付かなかったけど、裏側やったんかな?)
ちょうどドゥオモの裏手にあります。
教会はドゥオモとイグナチオ・ロヨラ教会(写真下左右)に入りましたが、どちらも内装が立派でした。

ここからいったん車に乗り、実はゴリツィアで一番行きたかった、ある広場へ向かいました。
こうやってみると、何の変哲もない広場に見えますが、
この建物は、 新ゴリツィア駅 の駅舎。そう、ここはもう イタリアではない のです。

gorizia-3.jpg

どこが国境なのか?と言うと、この広場の中心に線がひかれ、丸いプレートがはめてあります。
私とマニーノ、イタリア・スロヴェニア両国をまたいでみました!
この国境線が定められたのは 第二次世界大戦後の1947年
写真右上にあるように、2004年まではこのような石の壁がありました。
ひとつの町が分断されていたのでベルリンにたとえられることもありますが
イタリアとスロヴェニア(ユーゴ)との関係はいたって良好だったそうです。

gorizia-4.jpg

同じ広場でも名前が違うのが面白い!
イタリア側は Piazza Transalpina(トランサルピーナ広場)
スロヴェニア側は Trg Evrope(ヨーロッパ広場)

今では自由に出入りできるので、せっかくだから新ゴリツィア駅の中にも入ってみました。
この駅はかつてオーストリア領だった1906年、マリア・テレジアの命で作られた路線の駅で
その当時の駅名がトランサルピーナ、つまり今のイタリア側の広場の名称に使われています。
この路線は、オーストリアからトリエステまで、つまり海に出る貴重な路線だったそうです。

gorizia-5.jpg

おそらく駅ができた当時のままのレトロな内装。
ホームに降りてみると、駅名が Nova Gorica 、当然ですがスロヴェニア語でした!

この後、ランチを食べて、世界遺産にも指定された Cividale del Friuli にも寄ったのですが
なぜか ・・・ここから写真がいつの間にか削除されている!! ・・・大ショーーーーック・・・
ランチもゴリツィア郷土料理で美味しくお店もよかったし、チヴィダーレもあんなによかったのに・・・
こんな風に 、高ーい橋を渡った向こうに歴史的地区があります。
しかし、同じ Wikipedia の同じ項目でも内容や写真も全然違うのね~!

これに気付いたのは帰りの車の中、テンション下がりながらも気分を変えて、
今度はさらに北へ、北へと車を走らせ、最後の滞在先へ向かいます!


山編 ~ Tarvisio 宿とご飯 へ続く♪



© Rakuten Group, Inc.